目前に悩む患者の中に明日の医学の教科書の中身がある
悪性腫瘍の中で、"寛解"ではなく"治癒"が見込める領域はいまだ少ない。
血液腫瘍はその中で数少ない治癒が期待できる領域である。
高木敏之氏(千葉県がんセンター前医療局長)は、長年にわたりがん化学療法、特に悪性リンパ腫治療の分野で活躍し、千葉県の血液・腫瘍内科医のネットワークづくりとがん治療成績の向上に努力してきた。
抗がん剤の歴史と未来を語っていただいた。
―大学卒業直後の専攻選択について教えてください。
私が大学を卒業した頃は、"大学紛争"真っ盛りで、"非入局""学位ボイコット"をスローガンに掲げて大騒ぎをしていました。昭和42年に卒業して、虎ノ門病院でインターンをやりましたが、ここで故沖中重雄先生にお会いしたことが、私の進路決定に大きなインパクトとなりました。沖中先生は、"東大教授・学会の権威"として有名でしたが、われわれインターン生にとっては、"優れた臨床医・素晴らしい教育者"でした。毎日、インターンの部屋においでになり、「昼間は本を読まないように。ひたすら患者さんを診なさい」、あるいは「書かれたものは過去のものだからね」と言っておられました。沖中先生のベッドサイドを重視する真摯なお姿には感動しました。私の臨床家としての原点はここにあります。
―研修時代のお話を聞かせてください。
虎ノ門でのインターンを終えて国家試験に合格、新潟県厚生連糸魚川病院内科に勤務しました。その頃に偶々ECFMGを取得し、「広い世界を見て来るつもり」で、昭和46年米国ボストン市へ渡りました。その頃の日米の医療レベルに格差がありましたが、特に米国の臨床教育のシステムがしっかり整っていることに驚きました。私はカーネイ病院病理科レジデントになり、その後2年間で110体の剖検を行いました。当時日本では、悪性リンパ腫の組織診断は概念論的な赤崎分類が主流でしたが、米国ではすでに実用的なLappaport分類が普及しており、米国の"良い意味のプラグマチズム"に目を洗われるような気がしました。このときの経験が、その後ライフワークとなった悪性リンパ腫の治療にたいへん役にたちました。
―米国から戻られた後はどうなされたのですか?
昭和49年3月に千葉県がんセンターへやってきました。千葉県がんセンターは日本で3番目のがんセンターで、血液化学療法科の創設は、故木村禧代二先生(国立名古屋病院名誉院長)のお力によります。いろいろなことに関わって、一生懸命やっているうちに35年が経ち、とうとう今年3月に定年退職になりました。
―研究のお話を教えてください。
血液がんが治るようになったのは、基礎研究の進歩によるところが大きいのですが、有効な抗がん剤の開発イコールがんの治癒というわけにはいきません。悪性リンパ腫が治るようになったのは、特効薬アドリアマイシンをいかに上手に患者さんに応用するか、1980年代にたくさんの臨床研究が行われてCHOP療法が確立され、今では50%以上の患者さんが治るようになりました。臨床研究こそが、難病の治療にあたる臨床医の仕事であり、標準療法を確立することが目標です。私も1980年代の初めから、悪性リンパ腫治療研究会の仲間と一生懸命働きました。これまで治らなかった悪性リンパ腫がCHOP療法で治るようになった、その時代にこの領域で仕事ができたことは、たいへん幸運な人生であったと思っています。
平成12年から臨床検査部長に異動して、固形がんの化学療法に力を注ぎました。ちょうど、TS-1が保険適応になり、血液がんでの成功を固形がんにも反映させたいと思ったからです。有効な抗がん剤が次々に登場して、固型がんの化学療法は盛んになりましたが、未だ化学療法単独で治癒を得るには至っておりません。化学療法の役割を見定めて、手術・放射線との組み合わせで治癒率を上げることが、今後の課題だと思います。千葉県がんセンター開設から35年間、千葉県の血液・腫瘍内科のネットワークを構築してきました。「千葉に血液を」「白血病の成功を固型がんに」、という木村先生の遺命を、8割がた達成できたのではないか、そんなふうに思っています。
―御専門のガン治療の歴史、未来について教えていただけませんか。
抗がん剤は、もともと毒ガスの成分を白血病や悪性リンパ腫に使うことからスタートしました。1950年代―1970年代には沢山の抗がん剤が開発されましたが、効果と毒性の出る薬物濃度差が小さいため、使いにくい薬でした。治癒がえられるがんは、血液がん、小児がん、Germ cell tumorなどに限られ、1990年代の前半で、治療成績はほぼプラトーに達していました。そこで、より合理的な抗がん剤を求めて、がん細胞のSignal transductionの研究が行われ、2001年5月に、"夢の新薬"グリベックが上市されました。分子標的薬の登場です。当初、慢性骨髄性白血病はグリベックで治癒する、と期待されましたが、6年を経過して、治癒しないことがはっきりしました。グリベックという有用な薬剤を上手に使って患者さんの移植条件を整え、骨髄移植で治癒をめざす、というのが本道です。もうひとつ、分子標的薬ベサノイドと抗がん剤の組み合わせで高い治癒率が得られる急性前骨髄性白血病(APL)についてです。APLは白血病細胞の崩壊に伴ってDICを起こしやすいのですが、ベサノイドで白血病細胞を分化誘導して、DICのリスクを小さくした後に抗がん剤を投与すると約80%に治癒が得られます。最近は、固型がんの分子標的薬の開発ラッシュですが、分子標的薬単独で治癒させるのは無理です。分子標的薬の特性を上手に使って、他の治療法と組み合わせて、治療成績を上げてゆくのがよいと思います。
如何に医療が進歩しても人が人を診る・看るという関係は変わらない。現在、国保直営総合病院君津中央病院血液・腫瘍内科顧問の高木氏は、沖中先生の言葉『書かれた医学は過去の医学であり、目前に悩む患者の中に、明日の医学の教科書の中身がある』を心に、患者さんの診療と若い医師の教育に全力でとりくんでいる。
文責:工藤
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